朝が来た。夢ではなかった。
自宅で朝を迎えた私は、ちゃんと寝ていた。
目が覚めても、願っていたような「夢だった」は起きなかった。
姉妹の段取りと、現実の始まり
母のもとに泊まった妹と母は、眠れぬ夜の間に「これからやるべきこと」をリストアップしてくれていた。
ありがたい。私は現実逃避をしてしまい、父の死の実感もわかないまま眠ってしまった。
まずは、父の“宗教”から
最初につまずいたのは、「お父さんの宗教って何?」ということ。
今までそんな話をしたことも、聞いたこともなかった。
田舎に電話し、親戚に宗派を確認することから始まった。
お寺とのご縁は、こうして始まる
葬儀場に行き、宗教・宗派を伝えると、お寺さんを紹介してもらえた。
「ああ、こうやってお寺さんとの付き合いが始まるんだな」と実感する。
ありがたいことに、お寺さんの都合も問題なかった。
決めることだらけの現実
- 葬儀プランはどうするか
- 花はどうするか
- 骨壺は?
- お返しの品は?
- お金のこともすべて見積もりに出てくる
ひとつひとつ、決めていく。
費用が違う。それが現実だった。
遺影の準備、写真がない!
悲しむ時間なんてない。
すぐに必要なのが「遺影写真」。
けれど、最近の父の写真がない。
スマホには孫の写真ばかり。
迷った末に、結婚式で撮った少し前の写真を遺影に決めた。
「遺影を事前に準備する人もいる」と聞いたことがあった。
今なら、その気持ちがよくわかる。
最後に使ってほしい写真があるというのは、残された側にとって本当にありがたいことだ。
家族葬でよかったと思った
今の時代、家族葬が主流になってきている。
親しい家族だけで見送る準備ができる。
それが、今の私たちには合っていた。
準備はあれよあれよと進んだ
式当日に必要なお金、お坊さんに渡すお金――何もかも分からない。
いくら包めばよいのか、すべて聞いて教えてもらった。
父が好きだったもの、読みかけの本、趣味のもの、好きだった食べ物も一緒に入れる準備をした。
母は挨拶の言葉も考えないといけない。
そんな急に考えられるものなのか?
式当日、忙しい。せわしない。
食事代、お花代、次々と請求が来る。
まだ悲しむ暇がない。
お葬式ってこんなものなのか?
もっと悲しみに暮れるものじゃないのか?
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